自分を安心させる情報集め『確証バイアス』
おはようございます、Rinです
🍎👧🏻
昨日、はじめて転職エージェントの方と電話面談をしました。
・コロナの影響もあるけれど、最近の転職市場ってどうなんだろう?
(転職のタイミングって、ほんとうに今なのだろうか)
そんな疑問を持ちつつ話をさせて頂いたところ、
「コロナによる求人の有無に関係なく、自分のスキルを付けることが最優先」
「今は市場価値を高めることに注力するのが良いのでは」
そんな回答を頂きました。
エージェントさんのアドバイスが何であれ、私がここで言いたいのは、
・そうですよね
・そう言ってほしかったんだと思う
・そうかなとも考えていた
そんな風に、話をしてみて「安心」した自分がいたということ。
(薄々気づいてはいたけど、やはりそうなのか)
良いか悪いかは置いておいて、
自分の気持ちを代弁してくれたような気がして、何故だかホッとしているのです。
*
今日のテーマは、『自己確証過程』もしくは『確証バイアス』。
行動経済学にも関係しますが、今日は
『社会心理学』を参照しています。
大学時代、なんてつまらない授業をする先生なんだろう、と思いながら
読んでいた教科書がまさか。こんなところで役に立つなんて、
誰が想像できたでしょう。
(笑)
なかなかに字ばかりで難しいですが、林・飯田先生の
📍「社会心理学」にて詳細ご確認ください。
[目次]
- 『自己確定過程』とは?
- 「共感」の心地良さ vs 思考停止
- (コロナ)- 確かな情報が無いからこそ心配な、「今」
🥝🥝
- 『自己確証過程』とは?
さて、授業が面白くなかったので参照は灰色にさせていただきましたが、
🙊
そもそも社会心理学とは、
『人間の行動を周囲(対人関係やその時の状況)との相互作用から
説明しようとする』学問だそう。
・私たちの認識や行動が、いかに社会的な刺激の影響を受けているか?
・私たちの認識が、いかに周囲の人や社会に影響を与えているか?
そんな問題を解決しようとするもので、
「こんな理由があってこう行動する」と様々な理論を打ち立てているところは
行動経済学とも似ているなぁと感じます。
*
今日のテーマである『確証バイアス』について、
社会心理学では
『自己確証過程』と呼びます。
私たちはみな、自分自身に関する情報『自己知識』を持っていますが、
自分のことをすべて理解している人なんていないですよね。
そこで、『自己知識』をさらに獲得しようとする。
例として分かりやすいのが、「周りと比べる」こと。
・自尊心が傷ついたので回復したいとき
⇒自分より下の人と比べる(下方比較)・・・努力しなくなります※
・自分を高めたいとき
⇒自分より優れた人と比較する(上方比較)・・・自己改善へ◎
そんな風にして、「あ、自分ってこんな人間なんだな」と
ある程度分かってきたとき、
それを保つために働くのが、『自己確証過程』というメカニズム。
自己確証過程とは、個人が、自己概念を再確認するような情報をより多く認知し、またそうなるように行動するという過程をさす。
冒頭の私のエピソードで言うと、
・今は目の前の仕事で成果を出すことに集中する、転職はそれからだ。
そんな、面談前からおそらく持っていただろう気持ち、
一方で確証は無く、残りのピースを誰かに埋めてほしい。
こんな思いを確かにするきっかけとなったのが、エージェントさんのアドバイスでした。
「私は間違っていない」
そう、自己を安定させることに使われていたんですね。
*
そもそも人間には、
『矛盾を避け一貫した自己でありたいとする自己一貫性の動機』
が存在するそう。
社会心理学ではこれを、『認知的不協和理論』という
(いかにも英語から訳したのでむずかしい)言葉で定義します。
例えば私が、昨日の面談で
「それは今すぐ転職した方がいいですね」
「コロナで景気は悪くなるばかりです。今動きましょう。」
そんな風にアドバイスを受けていたとしたら。
・とは言っても、私はこの会社で何をやり遂げたといえるのだろう?
(←何も成し遂げていないと分かっている)
そう、自分の中でモヤモヤ(=矛盾)が生まれていたはずなのです。
でも発生しなかったのはなぜか?
それは、私が「自分を安心させるような回答」を得られるよう
気づかぬうちに、(もしくは意識的に)動いていたからなんですね。
つまり、自己の一貫性を保つ方向で態度変容が生じたということである。
。。。果たしてこれで良いのか?人間よ?
それが次のトピックです。
2. 「共感」の心地良さ vs 思考停止
Twitterを眺めてると、「いいね」したくなるツイートにたくさん出会います。
また、私はポッドキャストを聴くのが好きなのですが、
今日はいつもと違うのを聞いてみよう、
と思いつつも、気づいたらいつもの人たちに戻っていたり。
・なんだか、思想が統一化されてきているなぁ?
ふと、そんな危機感を覚えることがあります。
*
実際、ソーシャルメディアでは「アルゴリズム」の調整がなされており、
Facebookでは、ロシアによる米大統領選挙への介入などが批判を招いたこともありました。
広告やマーケティングでは、消費者が「気付く」前に、彼らが欲しいもの(=需要)を
喚起することを基本として成り立っていますが、
自分の好みに合わせたものを提供してくれることが「便利」な反面、
気付いたら、考えることをやめてしまっている。
そんな思考の停止は、『自己確証過程』や『確証バイアス』が働くことによる
弊害でもあるのです。
3. (コロナ)
- 確かな情報が無いからこそ心配な、「今」
4月14日発売の日本版Newsweekにて、ジャーナリストの久保田さんによる
こんな記事が掲載されていました。
「天気予報の森田さん」の気象哲学
(客観的な事実=気象データと、自身の見解を交えて解説する
森田キャスターについて述べて。)
人は不確実性をリスクとし、無難な枠の中で安定を求めがちだ。
確かに台本どおりの進行やデータどおりの天気予報なら問題は起きにくい。
しかし、それはしばしば思考停止を生む。
昨今の社会が、やみくもにエビデンスを求める一方で、根拠のない不安に支配されるのはその象徴に見える。
(中略)森田さんのように不確実性を受け入れた上でデータに思考を巡らせることこそ、実は確実性に近づくことなのかもしれない。
*
コロナウイルスの世界的な拡大の中、明るいニュースは少なく、
こうすれば治るという科学的な治療法も確立されていません。
いったい何を信じれば 心が安定するのか、
とりとめのない不安や情報に埋もれています。
そんな、久保田さんの言う”不確実”な世界で、
・こうすれば大丈夫
そんな情報があったなら、信憑性など疑うこともなく飛びついてしまう、
考えることなく信じてしまう、「思考停止」状態に陥りやすい状態にあるのです。
冷静であったら、それこそもっと「合理的」な
選択ができたかもしれない。
私たちは、「正解がない」「分からない」「不安である」、
そんな「不確実」を踏まえたうえで、
できる限り多様な情報にふれること、
時には自分の考えとは異なる見解にも耳を傾けることが必要であるはずです。
その上で、
・それでも私はこう思う。と
自己知識を確立させたり、
・こっちの方向で考えれば良いのか、と
自己改善に役立てたり。
いったん持ち帰ったのち、自身の成長の為に積み上げていくことが出来るのです。
🥝🥝
「共感」ってどうしても心地良くて、
同じような考えを持った人と気が合うのは当然のこと。
それでも、「正解がない」時だからこそ、
自分とはまったく違う見方を提示してくれる環境に身を置くことも
時には必要なんだろうなと思います。
・自分を信じること、
・ポジティブな考え方、
・なにごとも前向きにとらえること
これらはどれも、生きていくうえで大切な考え方ですが、
・必ずしもそれが正しいとは限らないぞ~
と自分に問いかけられたら、
それは新しい視点を得られるチャンスですよね。
💭 働かせすぎないでおこう、私の『確証バイアス』。
(※ 逆らえるのかは謎。。。)
そんな決意をしたところで、本日の締めとします。
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